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大阪高等裁判所 平成元年(う)350号 判決 1991年2月15日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人下村幸雄、同竹内勤連名作成の控訴趣意書及び弁護人坂本秀文、同長谷川宅司連名作成の控訴趣意書に各記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官堀山美智雄作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

各論旨は要するに、原判決は罪となるべき事実として、被告人が昭和六二年六月一七日午後三時三〇分ころ大阪市北区梅田所在のアクティ甲野エレベーター内において、Aが左腕に提げていたバッグ内から現金等在中の財布を抜き取り窃取したと認定・判示しているところ、被告人は当時右エレベーター内にはいなかったのであり右財布窃取の犯行もしていないから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、所論(弁論における主張を含む。)にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、原判決は、「事実認定についての補足説明」と題する項において、前記エレベーター内で一人の男が前示窃盗の犯行に及んだ事実が証拠により認められるとしたうえで、被害者A、同人に同行していたB子及び右エレベーターに乗り合わせたC(以下、右三名をあわせて「Aら三名」という。)の、被告人がその犯人である旨の各原審証言と、自分は犯人ではないとする被告人の原審公判供述とを対比、検討した結果、Aら三名の各証言は信用できるが被告人の供述は信用できないとして、被告人有罪の結論を導いている。Aら三名の各原審証言及び被告人の原審公判供述の各内容は、原判決が前記補足説明の第二項中で要約しているとおりであり、Aら三名及び被告人は、当審公判(公判手続更新前の分を含む。)においてもそれらとほぼ同様の証言・供述をそれぞれ維持している(以下、「A証言」、「B子証言」、「C証言」又は「被告人供述」というときは、特に断らない限り、各自の原審及び当審における証言・供述をあわせていうこととする。なお、右A証言、B子証言及びC証言をあわせて、「Aら三名証言」という。)。所論は、Aら三名証言は、予断と偏見に基づくもので内容も不自然・不合理であり到底信用することはできず、他方、被告人供述は、その内容が合理的であるうえ客観的事実とも整合しており十分信用できる、と主張して、原判決の前記認定・判断を縷縷争う。本件の論点は多岐にわたるが、以下では、第一に、Aら三名証言中の犯人と被告人とが同一であると識別した旨の供述部分の信用性、第二に、犯人の逃走経路に関するA証言及び被告人供述の各信用性、第三に、被告人と犯人との同一性に関するその他の問題点の順に検討する。

一  第一の問題は、Aら三名証言中のいわゆる犯人識別供述の部分の信用性の有無である。原判決は、犯人識別に関するAら三名の各原審証言が信用できる理由として、①Aら三名の各供述は、全体としてそれぞれ自己の認識、記憶に従ってなされた供述であるとみられ、ことさら虚偽の事実や記憶にない事実を述べようとする供述態度も窺われないことをあげたうえで、具体的に犯人識別の点については、②A及びB子の各原審証言で述べられた犯人の服装が被告人の当時の服装と同一ないし酷似しており、また、右各証言による犯人の容貌等も被告人の特徴と一致していること、③A及びB子によるエレベーター内での各識別は、それぞれ犯人に背広を腕にかぶせられた際、あるいは、犯人の体が接触し震えているのに気付いた際の印象的な出来事の直後の識別であることを指摘している。

右①の点は、Aら三名証言の全体的な印象としてはこれを肯定できると思われるが、犯人識別供述の信用性に関していえば、証人が自己の認識、記憶に従って供述しているとみられる場合でも、当初の犯人観察の正確性に疑問があったり、事後の被告人と犯人との同一性の確認が予断や主観的思い込みに影響されていたりするなどして、信用性が否定されることもあり、本件においても、それらにつき慎重な検討が必要である。

まず、Aら三名によるエレベーター内での犯人観察の正確性については、犯人の印象が希薄なC証言はさておき、A証言及びB子証言についてみると、右両証言の信用性を肯定させる事情として、エレベーター内はかなり明るく(藤田義人作成の捜査関係事項照会回答書によれば、エレベーター内部は面積が二・八八平方メートルで四〇ワットの蛍光灯が四本ついていたことが認められる。)、A及びB子はそれぞれ犯人と腕を接して隣り合って立つという至近距離から犯人を目撃していること、右③のように、A及びB子はやや特異な出来事がきっかけで犯人の顔を見るに至っており、観察が通常の場合より意識的になされたと考えられることをあげることができる。しかしながら、他方では、A及びB子による犯人の顔の観察は、その横顔を横から見上げる形で一瞬の間になされたに過ぎないこと、また、犯人は両名にとって既知の人物ではなく初対面であったことは、A証言及びB子証言の信用性を低減させる事情といえる。さらに、右③の点についても、観察をことさらに意識的にさせるほどの「印象的な出来事」があったといえるかは疑問であり、「その時は何も起こっていないのでそんなに意識はこちらもしてない」(A原審証言)、「見たあと変わったことがなかったから何も意識してなかった」(B子原審証言)といった程度の軽い一瞥に過ぎなかったと考えられる。

次に、事後の同一性確認の点であるが、Aら三名が地下鉄改札口付近で被告人と出会った際に被告人を犯人であると確認したことに関するAら三名証言の信用性についてみると、これを肯定させる事情として、当初のエレベーター内での犯人の目撃から被告人との出会いまでにはほんの数分という短い時間しか経っておらず、一旦犯人を見失ったとはいえ追跡の続行中の出会いであり、その間にAら三名の犯人に関する記憶の変容や歪曲が生じたとは考え難いこと、Aら三名が揃って被告人を犯人として確認していること、前記②のように、A証言及びB子証言による犯人像と被告人像とが一致ないし酷似していることをあげることができる。しかしながら、これらに対しても、前示のようにそもそも当初の犯人の目撃は瞬時のことであり、特に容貌についての認識はさほど精緻なものとは考えられず得られた情報も豊富とはいえないこと、Aら三名は右出会いの後、被告人を追尾して声をかけ警察署に同行しており、この間に認識した被告人の容貌等に合わせる形で当初観察した犯人像を無意識のうちに形成又は修正した可能性が考えられること、ことに警察署で被告人が自己が犯人であることを認めてAに謝罪したことによりAら三名は被告人が犯人であるとの確信を強めており、このことが遡って被告人像を犯人像に重ね合わせる方向で影響を与えたのではないかと疑われること、犯人の服装と被告人の服装との類似性、とりわけ背広上着を手に持った姿が同一であることにより、A及びB子はとっさにこれに惑わされて被告人を犯人と判断した可能性も考えられること、Aら三名は被告人と出会った際に犯人であると確認しながら、直ちに被告人に声をかけて警察署への同行を求めるなどのことをせずに暫く尾行しており、その前の懸命な犯人追跡状況もあわせて考えると、出会いの際に被告人が犯人であるとの確信を実際には持てなかったのではないかと疑われること、地下鉄改札口付近でAは後から追いついたB子及びCに対し「あの人(被告人)が犯人」と告げており、B子及びCによる被告人が犯人であるとの確認はAのこの言葉に引きずられた可能性が強く、また、Aも自らの右発言にB子及びCが同意したことにより被告人が犯人であるとの思いを強固にしたことが考えられることを指摘し得るのであり、これらは、被告人を犯人であると確認したとのAら三名証言の信用性を減殺する事情ということができる。

なお、原判決は、被告人と出会った際に被告人がぎくっとしたような態度をとった旨のAら三名の各原審証言も信用性があると説示し、このことも被告人を犯人と認める根拠の一つとしていると思われる。被告人供述は、これについては、「九号階段下でどっちに行くのかなとキョロキョロしたとは思うが、立ち止まったことはなく、誰かと視線が合ったという感じもなかった。」と述べて、右各証言と対立している。そもそもAら三名の右各証言は、自己がそのように感じたという主観的な面が強いものであり、その評価には慎重を要するうえ、客観的にも被告人が犯人でAら三名に気付いてぎくっとしたのであれば、関係証拠によって認められるその後の被告人の行動、すなわち、ゆっくり地下道を歩き、一旦広場に出ながらAら三名の方に引き返して階段を上り、さらに待ち受けていた同人らの方に近づいて行ったという一連の行動は甚だ不自然であるといわざるを得ない。したがって、Aら三名の受け止め方はともかく、被告人が同人らを見てぎくっとしたことはなかったと認められ、この点を被告人を犯人と認める根拠の一つとすることは失当といわなければならない。

以上述べたところをまとめると、Aら三名証言中犯人識別に関する供述部分は、当初の犯人観察及び事後の同一性確認のいずれの点からしても、その信用性を肯定させる事情が多々存するけれども、同時に、観察の正確性を減じる事情、あるいは、同一性確認の客観性に疑いを抱かせる事情が存在することも否定できず、彼此勘案すると、右供述部分のみで被告人を犯人と認めるには足りないというべきである。被告人が犯人であるとするAら三名証言の信用性は、他の論点についての検討を経たうえで、総合的に判断する必要がある。

二  第二の問題は、エレベーターを下りた後犯人がいかなる経路を通って逃走したのかという点である。これにつき、A証言は、「犯人は、大丸梅田店前の広場を横切ってから右へ曲がり、地上を一直線に走った後、地下鉄改札口に通じる八号階段を下りて行った。自分は、犯人の後ろ姿をずっと見ながら追跡したが、八号階段を下り始めて二段目付近で、階段下を左に曲がった犯人を見失った。」と述べ、他方被告人供述は、「自分は、大丸梅田店前の広場を横切りJR大阪駅中央コンコースに通じる階段を下りたすぐの所で、後方から走ってきた犯人を見たので、手を突き出して遮ろうとしたが、犯人はその先を回って、右階段横にあった大丸地下専門店街に通じる階段を下りて行った。」と述べており、両者は、被告人が犯人であるかの点はもとより、犯人の逃走経路の点についても、対立が顕著で互いに相いれない内容となっている。関係証拠によれば、A証言による犯人の逃走路は、エレベーター前から八号階段上までが約一四五メートルであり、うち八号階段までの直線路は約一一五メートルであること、被告人供述による犯人の逃走路は、エレベーター前から大丸地下専門店街に通じる階段(以下、「専門店階段」という。)上まで約七五メートルであることが認められる。犯人逃走経路に関するA証言及び被告人供述の各信用性について、原判決はごく簡単に触れるに止まっているので、以下もう少し詳しく検討する。

1  まず、A証言についてみると、同人は事件の翌日現場で警察官に対し八号階段までの逃走・追跡経路を指示、説明しており、以後同経路を一貫して供述していること、同経路と被告人供述による逃走経路とでは当初の大丸梅田店前の広場を横切る箇所が重なるだけで以後は大きく異なっており、これを取り違える可能性は通常考え難いこと、Aにおいて犯人の逃走経路につきことさら虚偽の供述をしなければならない理由も必要も見出せないことに照らすと、その信用性はかなり高いというべきである。さらに、B子証言及びC証言によれば、両名はAの後を追って八号階段まで行きそこから地下に下りたと認められること、特にB子証言は「自分はAの後を追って直線路の途中まで来たとき、八号階段方向に行くAの姿を最後に見て、その後見失った。」と述べていること、またC証言も「自分は直線路の途中でB子に追いつき、どっちに行ったかと尋ねたら、同人は『あっちです』とまっすぐ八号階段方向を指し示した。先を走っている人は見えなかったが、八号階段までの間に何人かの人が立ち止まって同階段の方を見ていた。」と述べていることは、それぞれA証言の信用性を補強するものということができる。

もっとも、A証言の信用性については、次のような疑問点が存する。まず、A証言は、自分と犯人との距離があまり開かなかった旨述べている。しかしながら、同証言による逃走路は前述のように八号階段上まで約一四五メートルもありうち約一一五メートルが直線路だったのであり、しかも、犯人は男性でずぼん・靴履きであったのに対し、Aは女性でやや長目のタイトスカートを着用しヒール付の革サンダルを履いていたのであるから、八号階段上に至るまでの間に両者の距離は相当に開いたであろうと推測できる。A証言は、前示のとおり、「自分が八号階段の上から二段目付近に来たとき、犯人が階段下を曲がった。」と述べているところ、八号階段は段数が三八段で中途に長さ一・五メートルの踊り場があり、Aと犯人との同階段での開きを地上に持ってくれば相当の距離になると考えられることも、右推測を裏付けるものである。そうすると、A証言自体にAと犯人との距離についてのやや矛盾した供述が存することになる。ただ、そもそも追跡中の犯人との距離を、Aにおいて正確に認識し供述すること自体困難なことであろうし、先の「犯人との距離があまり開かなかった」旨の供述も主観的なものであって、何メートル離れていたかを具体的に述べているわけでないから、矛盾とまではいえないとの考えも成り立ち得る。さらに、距離に関して疑問があるからといって、それが逃走経路に関する疑問に必ずしも結び付くものではないこともあわせ考えると、この点は逃走経路に関するA証言の信用性を左右するほどのものではないというべきである。

次に、B子証言については、直線路の途中で八号階段方向に行くAの姿を見た旨の供述部分はA証言の信用性を決定的に支えるものと考えられるが、子細にみると、次のような疑問点が出てくる。すなわち、第一に、関係証拠によれば、そのときB子がいたという地点は、右直線路の中途にある七段の下り階段の手前の高所であって八号階段方向への見通しはよく、そこでAの姿を見失ったというのはおかしくはないか、第二に、B子証言によるAを見失ったときのB子とAとの間の距離は約四〇メートルと認められるが、B子証言は、右七段の階段の手前約二五メートルの所にある三段の上り階段の所ではAとの距離は三メートルくらいだったと述べており、二五メートル行く間にAとの距離が三メートルから四〇メートルへと開いてしまったというのは不自然ではないか、との各疑問が生じるのである。もっとも、第一の点については、他の通行人の数や動きによってはAの姿が見えなくなる可能性も考えられるのであり、また、第二の点についても、犯人追跡の懸命さにおいて被害者であるAとその友人に過ぎないB子とでは自ずから相違があることや、追跡中の距離関係を正確に認識し供述することの困難性をあわせ考えると、さほど不自然ではないともいえるのであって、総じてB子証言には曖昧な点が存するものの、なおA証言の信用性を補強するということができる。

残るC証言については、Aの姿も犯人の姿も見ておらず、八号階段の方を通行人が見ていたというのもB子の言葉に影響されてそのように感じた可能性も考えられるが、A証言を全く補強しないとはいい難い。

2  次いで、被告人供述についてみると、被告人は弁護人宛に出した昭和六二年七月一七日(事件のちょうど一か月後に当たる。)付の手紙で自己の見た犯人の逃走経路についての説明を始め、同月二一日消印の弁護人宛手紙では、専門店階段を含め現場付近の見取り図を書いて犯人の逃走経路につき被告人供述と同内容の説明をしており、犯人逃走経路に関する被告人の供述も比較的早い時期からの一貫したものであること(なお、被告人供述によれば、被告人は警察署で最初に取調べを受けた際、人違いであって自分は犯人を見た旨警察官に訴えたが取り合ってもらえなかったことが認められる。)、被告人は、宮崎県延岡市に在住する者で、事件前数回大阪に出張で立ち寄ったことがあるに過ぎず、事件当時本件現場付近について詳細な知識を持っていたとは考え難く、なかんずく専門店階段の存在及びその場所をその位置や利用の関係からみて本件前特に認識していたとは考え難いのにもかかわらず、右手紙では専門店階段の位置をかなり正確に図示しており、他方これに関し弁護人等から教示がなされた形跡も窺えず、そうすると、右図面の記載は自己の特別な体験と記憶に基づいたものであると推測できること、被告人は、昭和六二年六月二二日警察官と一緒に本件現場の引き当たりに行っており、当時被告人は窃盗を自白し自分が犯人であることを認めていたものであるところ、逃走経路の説明に当たり大丸梅田店前の広場を横切った後JR大阪駅中央コンコースに通じる階段を下りるという動きを示したこと(被告人供述による。同行した倉田刑事も原審証言でこの動きがあったことを認めている。)は、いずれも犯人の逃走経路に関する被告人供述の信用性を肯定させる事情ということができる。

また、専門店階段下にあるスポーツ店の店長及び店員は、それぞれ原審で、同階段を年配の女性が窃盗の犯人を追うような感じで駆け下りてきて階段下を左に曲がり地下鉄方向に走って行った旨証言しており、これらも被告人供述を裏付けるものということができる。原判決は、右証人らがその女性をAと確認するまでには至らなかったこと及び時期などに相当の幅があることをあげて、必ずしも被告人供述の裏付けにならないと説示しているが、目撃した出来事自体の特異性のほか、被害者が年配の女性であったことや階段を駆け下りて左に曲がって行ったことなどが被告人供述と具体的に符合していることに照らすと、むしろ相当な裏付けになると評価すべきである(もっとも、右各証人は、女性の後を二、三名の人が続いて行った旨それぞれ証言し、この点は、Aだけが追って行ったとする被告人供述と符合していないから、右評価はある程度減殺される。)。

さらに、被告人供述は、被告人が専門店階段上から犯人及びAを見送った後駅構内を歩いて九号階段まで行き、同階段から地下に下りた旨述べているところ、後に述べるように、被告人とAら三名とが地下鉄改札口付近で出会う前に、被告人が九号階段を下りてきた可能性は強く、このことも、右被告人供述の信用性を肯定させる一つの事情ということができる。

3  右1、2に述べたところを総合して犯人逃走経路に関するA証言及び被告人供述の各信用性につき考察するに、まず、A証言は、その信用性を強く肯認させる事情が存し、子細にみるといくつかの疑問点が存するとはいえ右信用性を左右するほどのものとはいい難い。A証言と被告人供述とは、前示のとおり、互いに相いれない内容のものであり、原判決が指摘するように、一方の信用性が肯定されれば他方のそれは必然的に否定されるという関係にあるから、A証言の信用性に疑問がないこと自体からして被告人供述は信用できないとした原判決の推論は、犯人逃走経路に関しては強い説得力を持つと思われる。しかしながら、他方、被告人供述についてその信用性を肯認させる有力な事情が幾つか存するのも前示のとおりであって、それにもかかわらず、被告人供述を全く信用できないとして排斥することには疑問が残る。A証言による追跡・逃走経路はほぼ間違いなかろうと考えられるものの、同人は必死に追跡していたため周囲を顧みる余裕がなかったであろうことや、A証言及び被告人供述による両経路は前示のとおり当初の箇所が重なっていたこと、さらには、A証言による直線路といっても、両側を壁に囲まれていたわけではなく、北のJR大阪駅中央コンコース側は七段の下り階段になっていていわば開かれていたのであり、直線路の中途からでも同階段を下りて容易に専門店階段に達することができたことに思いを致すと、Aが被告人供述による逃走経路と取り違えていることがひょっとするとあるかも知れないとの感を払拭しきれないのである。結論として、原判決は、被告人供述の信用性に対する吟味を怠りあるいはその評価を誤ったために、A証言に偏り過ぎた判断をした疑いがあるというべきである。

三  最後に、被告人と犯人との同一性に関しこれまで論じてきたこと以外の問題点について検討する。

1  原判決は、それ自体として被告人が犯人であると認められる根拠として、被告人がCに呼び止められ警察署まで同行を求められた際及びその同行の間の被告人の状況を取り上げ、具体的には、①被告人が、Aから「エレベーターに乗ってたんでしょう」と質問されたのに対し、質問の意味を問い返しもせずに、「エスカレーターに乗っていました」と返答したのは、その時点ですでに自己が犯人であるとして呼び止められたことを意識した発言と考えざるを得ず、そのように考えることにより、②同行の際、被告人が自己が犯人でないことをAらに訴えたりしなかったことも、納得できるし、③同行した間に被告人がポケットに手を突っ込んで何かを探すという不自然な所為があったとのAらの原審証言も自然なものとして理解できる、と説示している。

まず、①についてみると、被告人供述では、その日はエスカレーターには乗ったがエレベーターには一度も乗っていなかった旨一貫しており、これを前提にすれば、前示の質問に対する応答は真実をそのまま答えたに過ぎず、それ以上の意味はないともいい得る。原判決は、被告人が質問の意味を問い返さなかったことを問題視するが、原判決も認めるように被告人には言葉足らずの特性が窺われるのであって、慣れぬ大都会の街頭で赤の他人から急に質問を受けて戸惑い、端的に答だけを述べたと理解することはそれほど不合理とも思われない。さらに、被告人供述では、右質問は同行の途中何か雰囲気がおかしいなと思ったときに発せられたもので、続いてB子に「アクティ甲野からずっとつけて来たんですから」と言われて、自分が犯人と間違えられていると思い、前記応答となった旨述べているところ(A証言も、歩きながら質問したことを認めている。)、これによると、まさに自己が犯人と疑われていることを意識しての応答ということになるが、犯人を見た旨の被告人供述を排斥しきれないことは前項で述べたとおりであり、これを前提にすると、右応答の内容自体は合理的であって不自然とはいえない。こうしてみると、原判決が、①の点をそれ自体として被告人が犯人であると認められる根拠としたのは、結論を先取りしてこれに沿う解釈をしたものとの批判を免れず、支持することはできない。

②についても、被告人の特性からして何も言わずにAらについて行くことはあり得ないことではないと思われるし、また、「Cから声を掛けられたとき、その後ろにいるAに気付き、Aが追っていた犯人のことを聞かれるのか、自分は先程は犯人を追い掛けなかったから今度は協力しなければいかんな、と思ってついて行った。途中自分が犯人として疑われていることに気付いたが、警察に行って潔白を証明しようと思った。」との被告人供述も、その内容自体は合理的であって不自然とはいえない。原判決の②に関する前示判断に対しても、①について述べたと同様の批判が当てはまるのであり、同判断を支持することはできない。

③については、問題となっている所為は日常的な動作の一つで特に窃盗の犯人と結び付くものではなく、まさに①について述べたと同様の批判がここにも当てはまる。なお、被告人供述では、「警察署に行く途中、帰りの汽車の時間を確認するために上着の内ポケットを探って切符を捜したが、手帳に挾んで鞄に入れロッカーの中に置いてきたことを思い出して止めた。」と述べており、その内容は自然であって不審な点はない。したがって、原判決の③に関する前示判断もこれを支持することはできない。

2  A証言は、Aが八号階段の所で犯人を見失った後暫くして地下鉄改札口付近で被告人と出会った旨述べているところ、被告人供述も総合すると、右出会いがあったこと自体はこれを認めることができる。その際被告人がAら三名を見てぎくっとしたか否かという点については前記第一項で論じたところであるが、ここで問題とすべきは、仮に被告人が犯人であるとすると、右A証言によれば、犯人たる被告人は折角追跡者を振り切りながらその直後にのこのこと追跡者の前に現れたということになり、それは不自然かつ不合理ではないかという点である。A証言をもう少し詳しくみると、「自分は八号階段を下りて犯人と同様左に曲がったところ、地下鉄改札口付近に出た。改札口横の詰め所の人に交番のある所を尋ねた後、少し戻ると、九号階段下にいた被告人と目が合い、犯人だと直感した。」と述べている。Aが八号階段を下りる時間及び地下鉄改札口付近でのAの動きを勘案すると、A証言による犯人を見失ってから被告人と出会うまでの時間は、犯人からすれば、Aらの追跡から離脱するには十分であるけれども、追跡を振り切った場所に姿を現すのにはまだ極めて危険な時間ということができる。つまり、犯人ならば、改札口付近からなるべく遠ざかるか、仮にその付近に身を隠したとしてももう暫くは見つからぬようじっとしているところである。ことに被告人が犯人であるとすると、犯行が公になることによりそれまで営々と築き上げてきた職場での地位や平穏な家庭生活を一気に失うことは目に見えているから、逮捕を免れようと必死になるはずである。ところが、被告人はすぐにAらの前に姿を現したのであり、もし被告人が犯人であるならば、まことに不可解な行動といわざるを得ない。しかも、関係証拠によれば、被告人はその後地下の通りを商店のウィンドーを見て立ち止まったりしながらゆっくりと歩いて行ったことが認められ、これも窃盗の犯人らしからぬ行動といわなければならない(Aら三名証言は、被告人は尾行に気付いているのにわざと気付いていない振りをしているのだと思った旨述べているが、被告人が犯人であるとの先入観に影響された主観的供述というべきである。)。なお、被告人供述は、九号階段を下りて地下鉄改札口付近に出たと述べており、Aも員面、検面各調書では「被告人が九号階段を下りて来た」と述べている(原審証言に至り、階段を下りてきたかどうかは分からないと供述を変更している。)。これらによれば、被告人が九号階段を下りてきた可能性は強いと考えられ、そうすると、犯人たる被告人は、一旦同階段を上がりながら、すぐに下りて引き返したということになり、これまた極めて不可解な行動といわざるを得ない。以上要するに、被告人が改札口付近に姿を現したことは、被告人が犯人であるということとそぐわず、この点で被告人を犯人と認定することには重大な疑問が存するのである。

3  その他、被告人が犯人であるとしても、原判決も認めるように、被告人において本件犯行に及んだ動機、原因は証拠上全く見当たらない。この点につき、原判決は「右動機、原因は解明できない」と判示しているが、被告人と犯人との同一性を肯定しようとするときにこれを躊躇させる要因となることは否み難い。

四  以上の検討を要約すると、まず、Aら三名証言中の犯人識別に関する供述部分はそれのみでは被告人を犯人と認めるに足りず、次に、犯人の逃走経路に関するA証言は信用性が高いと考えられるけれども、右に関する被告人供述も全く信用できないとして排斥することはできず、最後に、原判決がそれ自体として被告人が犯人であると認められるとする根拠はこれを支持し難く、かえって、被告人を犯人とすると不自然・不合理な点も出てくる、ということになる。これらを総合して考慮すると、本件全証拠によっても被告人を犯人と認めるには足りず、犯罪の証明が十分でないといわざるを得ない。原判決は、Aら三名の各原審証言及び被告人の原審公判供述の各信用性の評価を誤った結果、本件につき被告人を有罪としたものであって、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認が存する。各論旨はいずれも理由があり、原判決は破棄を免れない。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従ってさらに次のとおり判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、昭和六二年六月一七日午後三時三〇分ころ、大阪市北区《番地省略》アクティ甲野一階二号エレベーター内において、Aが左腕に提げていた手提げバック内から同人所有の現金三万一一五一円及びキャッシュカード等二四点在中の財布一個(時価合計約三九五〇円相当)を抜き取り窃取したものである。」というのであるが、前示のとおり、右公訴事実については犯罪の証明がないので、同法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田良兼 裁判官 石井一正 飯田喜信)

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